日本にある企業のほとんどは未上場企業で、証券会社や取引所の審査を経て広く一般的に株式取引される上場企業となります。
新規に上場することが「IPO」(Initial Public Offering)と言われるもので、その審査や準備の総称が「株式公開業務」や「IPO準備」です。
しかし、IPOは用語としてもかなり浸透していますが、実際にその過程を知っている人は意外といないのが実態です。
多くの企業では経営者の方がセミナーに参加したり、知人の話を聞いて漠然とイメージを持ち、手探りで始めることが多いようです。
私自身もIPOや取引所の制度に精通しているわけではありませんが、過去に3社で、3回の新規上場と2回の東証一部への市場変更に携わったことで、事業会社の実務者として何がおすすめかをお伝えできればと思います。
2022年4月には東証の市場再編があるので、株式公開業務にも変更が生じます。
しかし、未上場企業が上場企業になるための体制作りや準備といった本質は同じであり、やるべきことにも変わりはないと思います。
実務に携われる人が少なく、情報が少ないためブラックボックスになりがちな株式公開業務を、私の経験を通じて少しでも身近に感じて頂き、よりオープンになれば良いと思います。
著者:伊藤修次郎
株式会社GameWith取締役 兼 執行役員経営企画室長 兼 財務経理部長。 ※掲載情報は2021年11月現在のものです。 |
IPOにメリットがあるのか否か、データで確認
IPOとは、「Initial Public Offering」の略で、日本語だと「新規株式公開」や「新規上場」と言われます。
総務省統計局が出している「日本の統計2021」によると、平成28年(2016年)時点で日本には3,856,457社の企業があるそうです。
この中の僅かな企業がIPOを達成し、上場企業となり、自社の株式が証券取引所等で売買されています。
この中でIPOを果たした上場企業は、本原稿を執筆している前月末の2021年10月末時点で僅か3,786社しかないので、いかに狭き門であるかが分かると思います。
(単位 : 社)
カッコ内は、うち外国会社
第一部 | 第二部 | マザーズ | JASDAQ
スタンダード |
JASDAQ
グロース |
Tokyo Pro
Market |
合計 |
2,184
(1) |
469
(1) |
394 (2) |
656 (1) |
37 (0) |
46 (0) |
3,786 (5) |
しかし、毎年多くの企業がIPOを果たしており、上場廃止や統廃合はあるものの、順調に上場企業の数は増えています。
これは企業の経営活動において上場企業となることにメリットを感じている企業や経営者が多いこと、そして上場企業であることのメリットがあることを実感している証左であると考えます。
IPO準備の最優先課題は「IPO担当者の採用や選任」
私が現在勤務する株式会社GameWithは、創業から4年、IPOに着手してからは僅か2年で上場し、創業者である今泉卓也は若干28歳で上場企業の社長となりました。
そのため多くのスタートアップの経営者の方からIPOについてご相談を受けます。最近は投資先の経営者の方のマインドセットのためにとのことで、ベンチャーキャピタルの方にIPOについてお話をさせて頂く機会があります。
私がお会いする経営者の方は、皆さん非常に優秀かつ意欲的であり、周囲の経営者の方の影響もあってか「IPOは絶対するので、どうやったら良いか教えて欲しい」という方が大半です。
私がこのような経営者の方たちにお話をするのは、経営視点でのIPOのメリットとデメリット、そしてそれを担う「IPO担当者の採用や選任」です。特に時間がかかるのが「IPO担当者の採用や選任」なので、こちらを最優先課題として取り組んで頂きます。
なぜIPO担当の採用や選任が必要なのか?
「IPO担当者の採用や選任に取り組んでいただく」と話したところでほとんどの経営者の方は「?」となります。なぜ重要なIPOを経営者がやらないのか、です。
これはIPOがあくまで経営目標のひとつであり、プロジェクトとして取り組むべき事項だからです。
スタートアップであれば、経営者の方が経営だけでなく、事業も経営体制も旗振り役となって推進すべきだと思います。しかし、IPOを目指せる規模となってくると、おそらく経営者の方が経営全般を把握しているという状態ではなくなっていると思います。
そのような事業環境において、経営者の方がやるべき仕事は「会社の方向性を示すこと」だと思います。そして上場後はこれに「IR(Investor Relations)」が加わり、「重要な人事の決定」の重要性が増すというイメージです。
会社の規模が大きくなり、事業規模が拡充すれば会社は経営者の個人商店から企業になります。その過程で会社組織は適切な権限移譲が行われていくものです。
IPOは会社のプロジェクトであり、経営目標の一つであると考えて頂ければ、「IPO担当者の採用や選任」は合理的な判断だとお分かりいただけると思います。
IPO担当者に必要なスキルセット
次に頂く質問としては、「IPO担当者」に必要なのはどのようなスキルセットなのか、です。私は、以下の分野にについて一定の理解と専門性があることだと考えています。
- 企業会計
- 企業法務
- 内部監査
- 経営管理
- ファイナンス
「企業会計」とは
上場企業は当然ですが会計監査人(監査法人等)の監査を受けます。経理と会計、そして税務会計と企業会計はそれぞれ似て非なるものです。
目安としては監査法人と対話し、決算短信や有価証券報告書を作れるレベルが求められます。
「企業法務」とは
業界の商習慣や関連法案を理解し、反社会勢力等への対応や心構えがあることです。
事業活動において、訴訟等のトラブルは実際には発生することはあまりありません。それよりも事業活動を円滑に行えるよう、遵守すべき法令は何か、どのようなリスクを負いながら事業が行われているかを把握することが大切だと考えます。
「内部監査」とは
代表者の替わりに組織をモニタリングすることです。
昨今は不正を暴くというイメージが多いですが、実務としては業務が適切に行われているかの確認だけでなく、経営者への要望を聞いたり、不満を解消する緩衝材としての役割も求められます。
また、事業の拡充と共にどうしても経営者の目が会社の隅々まで行き届かなくなります。経営者の替わりにその目となって概要を把握することの重要性がとても高まってきています。
「経営管理」とは
予算立案や予算実績管理など定量面からの経営管理だけでなく、株主総会や取締役会の運営など会社運営全般についてです。
大企業に務めていると、業務が細分化されているためこれらを全体的に把握している人は意外と多くありません。
業務も多岐にわたるので、全てにおいて高度な知識と経験が求められるわけではなく、上場企業として求められるレベルを認識し、常にそれにどう近づくかを考えて必要があります。
「ファイナンス」とは
一般的な金融の知識ではなく、IPOステージ特有の金融知識を指します。具体的には資本政策やIPO時のバリュエーションなどです。
上場企業の株価は、時価がベースとなるので非常にシンプルです。しかし、未上場においては業績だけでなく、将来性や上場している競合他社などいくつかの要因を理解しながら自社の企業価値を最適化する必要があります。
特に資本政策については、修正が難しく、上場後も関わってくる問題ですので慎重かつ長期的な展望が求められます。
なお、「企業会計」、「企業法務」、「内部監査」、「経営管理」、「ファイナンス」全てにおいて専門性持つ方はほとんどいません。そのためIPO準備においては、これら5つの業務分掌を複数名で担い、チームとして対応することになります。
「IPO担当者の採用」については、まず1名、上記の「企業会計」、「企業法務」、「内部監査」、「経営管理」、「ファイナンス」のいずれかの分野のスキルセットを持っているかを確認した上で、経営者の方が重要なプロジェクトを託すに足る人物かを判断頂ければよいかと思います。
あとはその方に他のIPOチームの採用などを任せてしまえば大丈夫です。
IPOのメリットとデメリットについて
すべての企業がIPOを目指しているわけではないので一概にはいえませんが、私は経営目標の一つとしてIPOを掲げるのは良いと思います。
ただし、そのハードルは高く、多くの経営者の方が躊躇してしまうのもわかります。そこで未上場から上場企業になった会社に勤務するものとして実感しているIPOのメリットとデメリットを考察してみたいと思います。
IPOのメリット
一般的によく言われるものは以下のようなものだと思います。
- 優秀な人材の確保
- 信用力・知名度の向上
- 資金調達
- 内部管理体制の充実
- 従業員等のモチベーション確保
- 創業者利益の確保
この中でも特に実感できるのは「優秀な人材の確保」と「信用力・知名度の向上」、そして「創業者利益の確保」です。
「優秀な人材の確保」について
上場前と上場後においてエントリーしてくれる候補者の質と数が明確に変わります。
優秀な人材の定義については色々とあると思いますが、専門性の高い方が異業種から来てくれるようになります。
これは上場したことにより知名度が上がり、候補者の目に留まりやすくなったからのようです。ただし、上場前から入社をしてくれる尖った人材はやや減ってしまう傾向にはありますが……。
「信用力・知名度の向上」について
未上場企業においては、取引時においてでも決算書を数期分求められることがあります。また、銀行借入やオフィスの賃貸借契約時には代表者の連帯保証も求められますが、IPO後はこれらがなくなります。
取引先においても、詳細な会社説明が不要になり、いきなり決裁者の方が出てくることが増えます。このように事業活動を行う上で、上場企業の信用度はとても有効です。
「創業者利益の確保」
創業者は最初に出資をし、事業を開始します。その際には多大なリスクを負うことになりますが、上場するとほとんどの場合は出資した際の株価よりも高い株価となります。
創業者や大株主の場合は、売却するタイミングが難しいですが、もし売却することができれば多額の金銭的メリットを享受することになります。
「経営者の視野が広がる」
私は上記3点に加え、「経営者の視野が広がる」を挙げたいと思います。
経営者の方に限らず、社会人になるとどうしても自社の事業に集中しやすく、社外との交流においても同じ業界や自身と同じ水準の方たちになりがちです。しかし、上場することで経営者の方は他の経営者や異業種の方との交流が増え、目に見えて視差が上がっていきます。
経営者の視差が上がるということは、会社全体がより高見を目指すきっかけになることから大きなメリットでもあります。私は立場上、上場前後の経営者を間近で見ることが多いのですが、この「経営者の視野が広がる」というのが一番大きな変化でありメリットであると考えます。
IPOのデメリット
メリットがあれば、当然ですがデメリットがあります。
IPOにおける一般的なデメリットとしてよく言われるものは以下のようなものです。
- 株式公開準備
- 上場維持費用の負担
- 管理コスト・業務量の増加
- 業績向上・企業価値向上へのプレッシャー
- 支配権の希薄化
- 買収リスクの発生
- 社会的責任の増加
しかし、実際に私が感じるものは、「株式公開準備」、「上場維持費用の負担」、「管理コスト・業務量の増加」だけです。
「株式公開準備」は本当に大変です。必ず上場できるわけではありませんし、経営者や担当者が真摯に取り組んでも業績や事業環境が著しく変化した場合は諦めなければいけないこともあります。
仮に上場できたとしても、上場企業は「上場維持費用の負担」や「管理コスト・業務量の増加」が発生します。これは取引所に支払う費用だけでなく、監査法人や証券印刷、信託銀行へ支払う費用も増加しますし、一番大きなものは社内の人件費の増額です。
上場準備においては少数精鋭で対応するのが一番良いと思いますが、上場後は開示業務ができる人や株主総会の責任者など専門性の高い業務を担当する方が必要なだけでなく、人員の入れ替えなども想定してバックアッパーの採用や育成を随時行うことになります。
上場準備に要する人件費であれば一過性のコストとして考えることも可能ですが、管理部門の人件費は上場企業においては永続的に発生することになります。
経営者の多くの方は、上場準備は大変であることはよくご存じですが、金額感や実務において上場を維持するためのコストについて具体的にイメージを持っている経営者の方は少ないのではないでしょうか。
IPOを達成できる経営者とは
これまでのことを踏まえて、私の周囲、特にスタートアップの経営者の方でIPOを達成できる経営者の方には、以下の3つの共通点があります。
共通点1:「ビジョン(実現したい世界)があること」
私がお話をする機会がある経営者の方の多くは、各社のトップ営業マンであったり、素晴らしいエンジニアだったりします。
このような方たちが、組織として成長することを求め、IPOを一つの経営目標と掲げると、多くの場合は今まで社内にいなかった(いらなかった)職種や異なるバックグラウンドの人を採用しなければなりません。
そのような人たちを惹きつけるのは、きっかけは給与やストックオプションなどの金銭的な報酬かもしれませんが、必ず迎える苦しい局面でも前進するには会社としてビジョンを明確に示す必要があります。
お金は有限です。個人のカリスマは広範囲には届きにくいです。IPOだけでなく、その後の成長を見据えて多くの企業がIPOに着手したタイミングでミッション・ビジョン・バリューを明文化や再考しているのは偶然ではないと思います。
組織が小さいうちは、経営者個人の魅力で十分です。しかし、その後も成長していく場合には、経営者が見せるミッション(目標、夢、志。名称はさまざま)に共感してもらわなければ多士多彩な人材をまとめることは難しいでしょう。
また、上場企業であっても、新興企業においては上場時に開示される目論見書や有価証券報告書の「事業等のリスク」に、経営者への依存をリスクとして挙げています。会社が上場企業として公器としては、なるべく個人への依存を廃し、その想いを分かりやすく浸透させることが不可欠です。
共通点2「管理部門(経理、総務、法務など)の重要性を理解していること」
即ち経営状態を適切に把握する必要性を認識できること、です。
経営者の方は、どうしても売上を追及したり、新しいサービスの開発などに注力しがちです。これは企業が成長するためには事業を伸ばすのが大切なので理解できます。
しかし、経営者は事業を伸ばした結果が、正しく計上されているか、適切な契約が締結されているかなどにも同程度気を配らなければいけません。管理部門が取りまとめる数値や情報は、会社がどの方向に進んでいるかを把握するための計器のようなものです。
公認会計士や弁護士のようにプロフェッショナルになる必要はありませんが、管理部門のそれぞれの責任者からの報告や相談が理解できる程度の知識と、当然自身では全てチェックをできないことを理解し適切な人物を内部監査として配することをお薦めします。
管理部門の重要性を理解し、適切な人材を配しても、直接的な利益を生むことはありません。しかし、管理部門は会社の土台であり、その土台がしっかりすれば、企業は大きく成長することができます。
共通点3「IPO担当者に全権を任せる度量があること」
IPOは、経営の重要な目標にはなりますが、最重要課題ではありません。経営者の仕事は、企業価値の最大化です。
IPOは確かにその企業価値の拡大には大きく貢献します。経営者はIPOにおける重要な意思決定(市場選択やバリュエーション等)はもちろんすべきですが、申請資料の作成や主幹事証券とのミーティングなどは、自身が任命するIPO担当者に任せたほうが効率的だと思います。
多くの場合、その企業の新卒の方などプロパー社員と呼ばれる方がIPOを主導することはなく、他社でIPOの実績がある方や公認会計士、最近では投資銀行やコンサルティング会社出身の方などもIPOの責任者を務めます。これはIPOをする上で何をすべきかを理解していたり、企業経営の課題などを解決することに長けている職業だからです。
経営者の方にとっては、一緒に起業した方や新卒からがんばってくれている社員のほうが信用できると思います。
IPOはあくまでひとつのプロジェクトです。その他の事業プロジェクトと同じように、プロジェクトの成就のために最適な人材を採用し、自身に替わって進めさせるのが一番良いと思います。
その過程において、経営者の意に沿わない意見も出てくることでしょう。しかし、IPO担当者は、証券会社等と経営者に替わって交渉し、その準備を進めていきます。
経営者にとって不愉快な相談もあるでしょうが、その反対に証券会社等に対しても自社の主張をしつつ、求められる条件を通す方法を模索しています。経営者にとっては妥協している、自分の意見が反映されていないと思う時もあると思います。しかし、IPO担当者を任命した以上は、その推進者を信頼し、全権を任せることが一番良いと思います。
IPO担当者は、IPO準備中は過密なスケジュールの中で業務を推進しています。身内である経営者から細かい確認や過度な介入をされるとその対応にも時間を要し疲弊してしまいます。経営者の全幅の信頼という心理的安全が保たれることは、IPO担当者にとっては実はとても大切なことなのです。
まとめ
「IPOをするために必要なこと」について、多数のIPOを手掛けたGameWithの取締役、伊藤修次郎氏にご解説いただきました。
重要な点を繰り返します。
- IPOの最優先課題は「担当者の採用と選任」
- IPO担当者に必要なスキルセットは「企業会計」「企業法務」「内部監査」「経営管理」「ファイナンス」
- 実感できるメリットは「優秀な人材の確保」「信用力、知名度の向上」「創業者利益の確保」「経営者の視野の拡大」
上記に加え、IPOを達成できる経営者には「ビジョンがあり」「管理部門の重要性を理解していて」「IPO担当者に全権を任せる度量がある」という共通点が存在します。
ぜひ、自社のIPOを準備する際の参考にしてみてください。まずはIPO担当者の採用や選任を考えてみてはいかがでしょうか?